
この指摘大事ですね。
インプットとアウトプットの機会が交互に(というか併存して)あるかどうかが語学上達のポイントだと思います。
日本で普通に生活していると、なんでも日本語で間に合うから英語をアウトプットをする必要性を感じません。必要性がないと、英会話はなかなか身につかないです。会話の必要性がないから、学習の大半は「読み」になります。これは必然というか仕方がないことで、江戸末期以来、読み中心の英語学習で日本は大発展を遂げました。これは事実です。
2020年から部分的に実施されることになっている「大学入試の民間試験による4技能化」については、私はとても懐疑的です。
実は、数十年前の高校生の方がずっと英語力がありました。習うべき語彙・表現の数が今よりずっと多かったからです。実用英語の名の下に、コミュとかオーラル英語とか言って学校英語で英会話が目的のようになり始めてから雲行きが怪しくなり始めました。
教科書は会話文ばかりでファション誌のようにカラフルで中身のないものになって、試験はといえば、英語の音を文字を読んでマークシートで答えるというような、まったく活きた英語とはかけはなれたものになりました。語彙・表現の数も圧倒的に少なくなりました。
小学校の3・4年生あたりから本格的に英語教育を始めて、中学や高校入試で「英会話」を含めた4技能型の入試にして、高校では英会話(コミュ・・・英語?)は扱わない。これがベストだと思います。
私は、10年ほど専門商社で海外との取引に携わり、予備校講師を10年ほどやり、また10年ほど大学受験英語塾を主宰して、セブでの2年間の浪人生活を経て2年前から小学生中心の英語スクールを高松市で経営しています。
高校生や浪人生を相手にしている期間が一番長かったのですが、「こんなことは小学校や中学校のときにやっていればこんな苦労はしないのに、、」といつも感じていました。
極論すると、高校2年生頃にはだいたい英語についての勝負はつきます。その後は「大学受験の英語」という別の科目を学校や予備校でこねくり回しているだけで、これは将来ほとんど役にも立ちません。
初めは大学受験の英語塾でしたが、10年ほど前から自然に行き着いたのが「英語は小学生3~4年生から本格的に始めるべき」という結論です。小中学生のお子様の英語教育にかかる経済的負担は高校生になって塾や予備校にかける負担や苦労を考えると小さなものです。
英語教育改革の次善策としては、学校英語では「英会話」は扱わないで、昔の様に訳読とライティングに戻す方がいいと思います。教科書の分量が圧倒的に増える分だけ英語力は今よりずっと高くなります。趣味や仕事で英会話を身につけたい人には、その学校英語の語彙・表現の豊かさが生きてきます。
社会人になって英語が本当に必要になったときに頼れるのも、この小学生や中学生のときの英語です。予備校などで教えている「大学受験の英語」は、社会人になってからもう一度英語をやり直すときの役にはほとんどたちません。
私がある商社のコレポン(商用英文)部に配属になって英語を書かなければならなくなったとき、必死で思い出していたのは中学校~高校一年のころに習った英文でした。